「不在としての他者」から「暴力としての他者」へ1

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)


0. はじめに


今回は、前回のエントリー(「舞上王太郎の『ディスコ探偵水曜日』について」)に対してある種の修正・補足を行いたいと思う。より正確には、単なる補足ではなく、前回の議論が達した中間的な地点に別の筋道を辿って合流することによって、私たちの考察を次に進めるためのより幅広い足場を作成することを目指す。


修正のポイントとなるのは、
村上春樹の文章には『他者』がない。その『他者の欠如』が90年代以降の彼の文章を支えていたものであった」
という一文に凝縮された判断である。
この判断に対して、ここでは、
村上春樹の特徴は『他者の不在(欠如)』を描くことにあり、この『不在としての他者』がデヴュー以来の彼の文章を支えてきた」
という見解を提示し、その上で、村上と舞城の異同をより鮮明に把握することを試みる。


『不在としての他者』とは何か。それを考察するためには、「他者」の対項である「自己」についても言及する必要がある。というのも、村上春樹において、いかに他者を描くかという問題は、いかに自己を描くかという問題と常に強く結び付いているからである。


「自己」と「他者」の関係という視点から村上作品を読むとき、その特徴は以下の3点の併存にあると思われる。


・倫理的個人主義
・意味論的独我論
・不在としての他者


唐突に造語を並べられても当然よくわからないだろうが、以下でひとつひとつ説明していく。



1.倫理的個人主義


 第一に、村上作品の基底には「倫理的個人主義」とでも呼ぶべき態度がある。これは簡単に表現すれば、「この世界が自分にとって納得のいくものとなるように生きていくべきだ」という考え方であり、1960年代までの左翼的世界観を規定していた「社会的理想」に基づく倫理=「この世界が皆にとって納得のいくものとなるように生きていくべきだ」という考え方と鋭く対峙する態度である。後者の論理は、1968年前後の学生運動を境に急速に空転し空虚なものとなった。この変化を文学において強く徴づけたのが初期村上作品であることは、しばしば指摘されることである。これに対して、前者の倫理は、「自分にとって意味のあること」「自分で考えたこと」「自分が納得できること」を重視して生きていくべきである、といった態度を意味する。両者の倫理の対比について、村上は最近つぎのように語っている。

「ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。」
(『文藝春秋』2009年4月号 村上春樹独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」:エルサレム賞受賞の際に行ったスピーチについて語っている部分)


上で対比されている「正論原理主義者」と「日和見主義と糾弾された人々」のうち、村上が後者の立場に拠ってきたことは明らかである。ただし、彼の特徴は、単純に社会的理想の倫理を否定して「自分が好きなように勝手に生きれば良い」という楽観的なメッセージを広めるのではなく、人々が共有する幻想としての「社会的なるもの」から切り離された「個人的なるもの」において、いかに倫理を問うことができるかに焦点をあててきたことにある(この社会的正義から個人的内閉への移行について、村上本人は「以前はデタッチメント(かかわりのなさ)ということがぼくにとっては大事なことだった」と後に表現している)。「いかにしてこの世界は自分にとって納得のいくものとなりうるのか」と問うことは、「自分勝手に生きれば良い」と語ることとは根本的に異なる。様々な物語を生きる主人公「僕」の姿を通じてこの問いを繰り返し切実に追及してきたことが、村上作品の個人主義を「倫理」と呼ばれうるものにまで押し上げている。


以上で述べてきた評価は目新しいものではない。例えば、村上(1949年生まれ)と同世代の評論家である加藤典洋(1948年生まれ)は村上のデヴュー作「風の歌を聴け」に依拠しながら次のように述べている。少々長いが引用する。

70年代に入ると、時代の色合いは変わり、1960年代後半のたとえば貧しい人を助けるべきだ、というモラルは、ラディカル化したあげく、没落する。「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」という鼠の声は、そういう中、急速に説得力を失っていく。もう誰も他人に対し、「我々は……すべきだ」とはいわない。そういう「正しい」声は、もう誰の耳にも、そう語るものの独善的な「正義感」の押し付けとしか聞こえない。その真摯さを支えてきた現実的な根拠が、高度成長によってみるみる侵食され、これに代わって新しい都市風俗の魅力が人々をとらえるようになるからだ。
[…中略…]
さて、そうして、多くの若い書き手が、この種のモラル的定言を嘲笑の対象とする時代がくる。そしてそれは、嘲笑されるに値する。それは、牢固とした時代錯誤と独善のもとに、人に硬直した正義を説く、「インテリゲンチャ」の言葉なのだから。しかし、そのような時期に、村上は、モラルの入った水盤を彼らのように捨てない。いわば死んだモラルを、動かないクリヴェリナのように抱え続ける。マクシムとは、「我々は……すべきだ」というモラルに対し、「私は……することにしている」と呟くものであり、村上は坂道にかかる車がいったんギアをローにおくように、それまでモラルに入れられていたギアをここでいったんマクシムに「下落」させ、そうすることで、この困難な時代に、モラルを仮死の状態で生き延びさせようとするのである。
加藤典洋村上春樹イエローページ1』:p228-229)

注:
・モラル(道徳)=万人に適用される普遍的なルール 
・マクシム(格率)=自分だけに適用されるルール、行動基準。
↑カントの用語法において、マクシムはモラルへと育っていくモラルの萌芽形態。


 ここでいうマクシムとは、自分だけに適用される行動基準を自ら作り、それを忠実に守るということであり、それは、初期村上作品の主人公(=「僕」)に共通して見られる性質である。『風の歌を聴け』の「僕」は、乗った電車の乗客の数からセックスの回数まで全てを数えることにしているし、『羊をめぐる冒険』の「僕」はエレベーターから自室までものさしで「線を引いたみたいに」正確にまっすぐ16歩あるく自己訓練を長年続けてきたと述べる。そして、これらの性質は、しばしば妹や恋人など親しい人間に彼らが突き放される要因となる。例えば短編『ファミリー・アフェア』では結婚を決意した妹が主人公を次のように非難する。「あなたはものごとの欠点ばかりみつけて批判して、良いところを見ようとしないのよ。何かが自分の基準にあわないとなるといっさい手も触れようとしないのよ。そんなのってそばで見てるとすごく神経にさわるのよ」(p77)。

 
 ただし、加藤の論述には疑問が残る。なぜモラルからマクシムへの「下落」が「モラルを仮死の状態で生き延びさせようとする」試みだと言えるのだろうか(注)。この疑問に対する返答となりえそうなのは、『羊をめぐる冒険』後半の下敷きとなった映画『地獄の黙示録』についての村上自身の論述に依拠しながら加藤が論をすすめる以下の箇所である。


注:この主張、および「内閉への連帯」という主題をめぐる加藤の論述は、村上作品の冷静な分析であるはずのところに、彼自身の個人的な希望のナイーブな表明が混ざってしまっている印象も強い。

思想も伝統も文化も信じられないところでは、どのような物語も可能である。しかし、何も信じず、すべてが相対的なものに過ぎないという状態を意識的にどこまでも追及していけば、わたし達は結局、ひとつの物語の核にぶつからざるをえない。コッポラはちょうどそういうことを『地獄の黙示録』で試みている。
[…中略…]
 村上はその『地獄の黙示録』を論じた評論に、『地獄の黙示録』は最後、「人は自我との対決に耐えうるか?」という問いにぶつかっているのだ、と書く。コッポラは何をしたことになるのだろうか。何も信じられない限り、最後、世界の輪郭はそのまま自分の輪郭に重なる。そこでは世界とはそのまま、自分の内側の世界のことである。コッポラは、世界がその内容物を溶解させてしまい、一個のカオスと化した後、なおそれと対峙することで、一つのことを明らかにしている。人はもし、思想、歴史を信じられないなら、最後自分にぶつかるほかない。少なくとも村上はコッポラのメッセージをそう理解し、これに共感し、彼の『羊をめぐる冒険』を書く。
加藤典洋村上春樹イエローページ1』:p152)

 モラルから撤退した「僕」は、自分なりの行動規範=マクシムを武器として社会的通念に抗しながら生きていく。その姿は、自分なりの洒落た「スタイル」を保持する都会的な若者の範例となり、多くの読者を魅了してきた。しかし、(『羊をめぐる冒険』以後明確になっていく)村上の本領は、世界の輪郭を自分の輪郭に重ねようとすること、前稿の表現を借りれば、<「世界」=「僕の世界」>という等式を成立させようとすることがもたらす快楽だけでなく、それに必然的に伴う悲哀や窮状(これを端的に表すのが先の「妹による批難の言葉」であり、この種の言葉と共に去っていく彼女や妻たちの姿である)を同時に描くことにある。この二つの局面の間で苦闘する「僕」の姿を通じて、読者に伝えられるある種の切実さ(「心の震え」)こそが、村上作品が提示する「倫理」の中核にある。


2.意味論的独我論


 少し結論を急ぎすぎたようだ。以下では、まず村上の小説において<「世界」=「僕の世界」>という等式を成立させる具体的な方法論となっているものについて分析したい。その方法論が、ここで「意味論的独我論」と呼ぶものである。哲学における認識論的な意味での独我論とは「私に見えるものだけが真に見えるものである」という形をとる。もちろん他人に何かが見えていることは否定できないが、他人が見ているものを私が見たとしても、そこで「真に見えるもの」はあくまで「私に見えるもの」でしかないという考え方である(ただし、独我論の本分はこの見解を契機にして、そのように言える「私」とは一体何なのか、を問うことにあるのだが)。


こうした認識論的独我論に対して、ここで「意味論的独我論」と呼ぶものは、「この世界の私にとっての意味が、この世界の真なる意味である」という形をとる。前回のエントリーでも、村上作品においては「『僕』にとって関係のないものは、『僕』の『世界』の中では無意味になってしまう」と指摘されている。ただし、ここで注意してもらいたいのは、この評価は、「村上作品には個人にとってのみ有意味な恋愛や個人的悩みといった卑近な出来事しか書かれておらず、その世界は近視眼的で社会に目を向けることができない閉塞した現代の若者の姿を反映するものである」といった評価とは全く異なるということだ。以前のエントリー(「いったん世界を閉じるために」http://d.hatena.ne.jp/kyudou/20081214/1231330702)で詳述したように、村上の文章は、「自分にとって意味のある世界だけを描く(「閉じた世界を描く」)」ものではなく、「世界を自分にとって意味あるものへと変換していく運動(「世界を閉じる」)」を描くことを志向している。そこで追及されるのは、「いかにして世界を自分にとって有意味なものとすることができるか」という問いであり、この問いを追及することが前述した「倫理的個人主義」の具体的な展開として現れる。そこでは、この世界を「自分の言葉で誠実に語ろうとする」ことはいかにして可能か、それを通じて何が獲得され何が失われるのか、そこで失われるものに対していかに対峙しうるのか、といった問いが浮上してくるのである。


いくぶん抽象的な議論が先行したが、村上作品において「意味論的独我論」が現れるのは、まず何よりも具体的な記述の方法論においてである。例を示そう。

僕がドアを開けると、男が二人立っていた。一人は40代半ばに、もう一人は僕と同じくらいの歳格好に見えた。年上の方が背が高く、鼻に傷あとがあった。まだ春の始めだというのによく日焼けしていた。漁師のような現実的な日焼けだった。グアムのビーチとか、スキー場で焼いたわけではない。[…]若い方は背が高く、髪が長めだった。目が細く、鋭かった。一昔前の文学青年みたいに見えた。同人誌の集まりで額の髪をかきあげて「やはり三島だよ」と言ったりしそうな雰囲気がある。昔、大学のクラスにも何人かこういうのがいた。
[…]
「漁師」と「文学」と僕はとりあえず名前をつけた。
 文学がコートのポケットから警察手帳を出して何も言わずに僕に見せた。
映画みたい、と僕は思った。僕はそれまで警察手帳なんて見たこともなかったけれど、一見してそれは本物であるように感じられた。くたびれかたが革靴のくたびれかたによく似ていたからだ。でも彼がコートのポケットから出してさしだすと、なんだか同人誌を売りつけられているような気がした。
 「赤坂署のものです」と文学が言った。
(『ダンス・ダンス・ダンス(上)』:p332-333)


ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)


 「僕」の親友「五反田君」の殺人容疑をめぐって主人公を付きまわす二人の刑事が初めて登場するこのシーンの描写は、奇妙に鮮やかな感覚を読み手に与える。それは、「刑事」という「若者の卑近な生活圏」の外部にあるはずの公的な存在を、にもかかわらず、「僕の世界」の一部に組み込んでいく村上独特の描写法によって実現されている。この描写の独自性は、たとえば次のような一般的に見られる描写と比較するとより明確になるだろう。

その時、ドアが妙に威嚇的な感じでノックされた。今までに私が聞いたどんなノックとも、明らかに違う音だった。そしてこっちの返事を待たず、ほとんど荒々しいやり方でもってドアが開かれ、非常に地味な背広を着た恰幅のいい四十がらみの大男が立っていた。
 御手洗さんてのはあんたかね?と彼は私に向って言った。
 私は多少どぎまきして、いえ違いますと応えた。彼はそれなら残りの方だと判断したらしく、御手洗の方へ向き直ると、内ポケットから、まるで成り上がりの実業家が札束をちらりと見せるようなやり方で黒っぽい手帳をみせ、竹腰だがね、と低い声で言った。
島田荘司占星術殺人事件』P233)


占星術殺人事件 (講談社文庫)

占星術殺人事件 (講談社文庫)


 この二つの文章はともに主人公に敵対的な刑事が初めて登場するシーンを描くものだが、刑事をどう描写するかという点で大きく異なるものとなっている。島田が、「竹腰刑事」の動作や彼の動作に対する比喩的な表現(「まるで成り上がりの実業家が…」)によって彼がどのような人物であるかを描いていくのに対して、村上は二人の刑事が「僕」の視点からみてどのような人物であるかを描いていく。彼らは、「漁師のような現実的な日焼けだった」とか「同人誌の集まりで額の髪をかきあげて『やはり三島だよ』と言ったりしそう」といった「僕」の個人的な印象やプライヴェートな記憶に基づいた描写を施されることで、公的な刻印を解除され、「僕の世界」のうちに取り込まれていく。つまり、世界内の事物=<二人の刑事>が、「僕」にとってそれらが意味するもの=<「漁師」と「文学」>に変換されているのである(注)。


注:以前のエントリー(「いったん世界を閉じるために」いったん世界を閉じるために - トレモロ・ヴィンテージの批評公園)で検討した、「羊をめぐる冒険」における三島事件の描写にも、同様の操作が見られる。


もう一つ重要なことは、彼らは「僕」によって「文学」と「漁師」というあだ名をつけられ、これ以降も彼らの本名は示されず常にあだ名で呼ばれる、ということである。あだ名とは、名づけを行った人物を含む狭いサークルの内部においてのみ通用する名である。個々人をあだなで呼ぶことには、彼らを公的な存在ではなく、プライヴェートな親密性を伴う存在として位置づける効果がある(初期村上作品において重要な役割を果たすキャラクターの名前「鼠」も、大学時代のあだ名であり、彼の本名は最後まであかされない)。
もし、上記の村上の文章に見られる「あだ名の名付け」を消去して一般的な人物名を彼らに与え、たとえば、「『竹腰』と『南田』と彼らは名乗った。竹腰刑事はコートのポケットから警察手帳を出して何も言わずに僕に見せた。」という文を上記の文章の太字で示した部分に挿入したとすれば、このシーンの印象は大きく歪んでしまうだろう。


 ここで実現されているのは、「ある言葉」と「その言葉が意味/指示するもの」とがつねに「僕」を介して関係づけられているという事態である。「漁師」と「文学」という言葉は、そうあだ名をつけた「僕」にとってのみ、二人の刑事を指す。そして、作者である村上は彼らを以後もこのあだ名でのみ表記する。こうして、作品世界は「僕の世界」と一致するものとなるのである。


こうした事態は、あだ名だけでなく、とりわけ初期の村上作品における呼称に共通してみられる。そこでは、主人公と親しい関係をもつ人物たちのほとんどが本名を明らかにされず、「彼女」「妻」「離婚した妻」「仕事の相棒」「事務所の女の子」「妹」「妹の婚約者」、といった主人公との関係を表す言葉によってのみ示される。これらの一般名詞は、いずれも本来は頭に付く「僕の…」という語を省略したものであり、それらが特定の人物を指すのは「僕」を介する限りにおいてのみである(これらの表現は、発話主体において構成される文脈においてのみ発話の意味がきまるという特徴を持つ言語学で言う直示語=deixisの一種である)。日常生活において私達が「(僕の)別れた彼女」や「(私の)彼氏」や「(僕の)奥さん」や「(私の)父」という言葉を発するとき、それらの言葉は――固有名詞ではなく一般名詞であるにもかかわらず――自分にとってかけがえのない唯一性をもった人物を指す。この唯一性は、よく言われる「固有名の単独性」とは明らかに異なる形で実現されるものであり、認識論的独我論の始点となる「『この私』だけが唯一存在する真なる『私』である」という直観(注)から導出されるものである。つまり、「この私」の唯一性を根拠として「『この私』の彼女(/妻/相棒/父/etc)」の唯一性が樹立されるのである。


注:この直観について永井均は次のように述べている。
「『私にみえるものだけが真に見えるものである』という主張は、私に見えないもの(つまり意識の外)との対比で語られた主張ではなく、他人に見えるものとの対比で語られた主張であり、そのうえ、他人に見えるものもまた、ふつうの意味では見えるものであるこが、当然のこととして認められている[…]問題はただもっぱら、そういうふつうの意味でものをみているといえる無数の意識主体のうち、今ここでほんとうにものを見ているこの私をどう区別できるか、という一点に集中している。[…]問題は一般的に想定できるそういう自我たちのうちの一つが、他の自我たちとはまったく違ったあり方をしたこの私である、という点にあるのだ。だから問題の「私」は、あくまでも今ここにいるこの私ただ一人を意味しているのである」
永井均ウィトゲンシュタイン入門』:p21-22)。
 誰もが「私」と言うことができるが、その中でただ一つ「この私」だけが唯一特別な存在である。この独我論的直観は、無数の人間が「妹」や「妻」と呼ばれうるが、その中で「この私の妹」、「この私の妻」だけが唯一特別な存在である、という状況と構造的に同型である。
 ちなみに、いま考えると、独我論の闇を執拗に掘り進める本書や『<子供>のための哲学』における永井の議論が多くの一般読者を獲得したのは、上で述べた倫理的個人主義あるいは「倫理的独我論」とでも呼ぶべきものと関係する個々人の欲望と、彼の議論がある種の共犯関係を持ちえたからだったようにも思える。



<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス


 もちろん、村上作品には「あだ名」や「『僕』との関係を表す名詞」以外の名を持つ重要な人物もいる。ただし、それらの人物の呼称にもまた「僕」のプライヴェートネスが強く刻印されている。例えば、『ダンス・ダンス・ダンス』において忘れ難い感触を残す「五反田君」は、主人公の高校時代の同級生で現在は端正なマスクをした人気俳優であり、「五反田」は彼の本名である。しかし、彼の芸名もフルネームも最後まで明かされることはなく、「五反田君」という「僕」の高校時代の記憶と強く結びついた名前で呼ばれ続ける。あるいは、『羊をめぐる冒険』に登場する「高級娼婦と耳のモデルをしていた女の子」は、なによりも「非現実的なまでに美しい耳をもつ女の子」として描かれ、彼女がその美しい耳を見せるのはただ「僕」に対してのみである。


 プライヴェートネスの刻印を押されるのは、人物だけではない。例えば、『1973年のピンボール』(p18)では、1960年が「ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年」だとさりげなく、いくぶん唐突に断言される。

 家の設計者でもあった最初の住人は年老いた洋画家だったが、彼は直子が越してくる前の冬、肺をこじらせて死んだ。一九六○年、ボビー・ヴィーが「ラバー・ボール」を唄った年だ。いやに雨が多い冬だった。

「ボビー・ヴィー」だけでなく、「ハロー・メリー・ルー」や「リッキー・ネルソン」といった、読者すべてにとって馴染みがあるとは言えない固有名が、とりわけ初期村上作品においては説明もなく頻繁に登場する。ただし、これらの言葉は固有名ではあるが、「僕」の過去ないし青春の記憶と強く結びついている。「1960年」が「ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年」を意味するのは、あくまで「僕」、あるいは「僕ら」を介してなのである。このことは、上記の文章を次のように置き換えるとよくわかる。「僕(ら)にとって1960年は「ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年なんだよ」。この文章には特に違和感を感じることはない。村上は、この文章から「僕(ら)にとって」を抜いてしまうことで(注)、あたかもそこでは「1960年」が「ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を歌った年」以外のものを意味しえないような世界を創出する。そして、この世界は「世界の輪郭がそのまま自分の輪郭に重なる」ような世界に他ならない。「1960年」という、客観的な歴史の一地点を指し示すものでしかないような言葉に対してまで果敢に「僕」のプライヴェートネス(=「『この私』の唯一性」)を刻印していくこと、その洗練された手際において村上は、世界を「僕」のうちに取り込んでいくのである。


注:これと同じ操作が、前述した「僕」との関係を示す名においてのみ登場人物が指示されるという際にもなされている。つまり、「彼女」や「別れた妻」は決して「僕の彼女」とか「僕の別れた妻」とは呼ばれないのである。何故なら「僕の」という言葉をつけてしまえば、それらの人物が「僕にとっては彼女だが、他の人間にとっては別の存在でありうる」という含意、「僕の世界」がより上位の(公的な)世界に包含されているという含意が生まれてしまうからである。このように、作品世界が「僕にとっての世界」であることの痕跡を巧妙に消し去る作業を徹底して行うことによって、村上の文章は普遍的な形式性を獲得しているのであり、だからこそ彼の文章は後述する村上読者の語りとは根本的に異なるものとなっている。



重要なのは、ここで言う「僕」は、「村上春樹」という個人や彼と世代を共有する個々人を意味するわけではないということである。たしかに、「ボビー・ヴィー」や「ハロー・メリー・ルー」といった固有名は、特定の世代の人間にとって、「あー、あのボビー・ヴィーね」(この言い方に伴う感触は、仲間内のみで通用する呼称を用いるときの感触と同質である。「あー、あの『誰とでも寝る女の子』ね、いたねー、そんな子」)といったプライヴェートな記憶に基づく唯一性を喚起する言葉である。つまり、一面においてこれらの固有名の濫用は、特定の個人および特定の世代の人々=「僕ら」の視点から世界を切り取っていく効果を持っており、「小説と読者の間に特定の時空と結びついた濃密な関係を作り上げるための仕掛け」(http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun/5695500.html)という側面も持っている(注)。
 しかしながら、これらの固有名を用いた表現は、作者と時空を共有しておらず、「ボビー・ヴィー」も「ハロー・メリー・ルー」も知らない世代の読者に対してもある種の魅力を発揮する。彼ら読み手がそこで感受するのは、「ボビー・ヴィー」や「ハロー・メリー・ルー」という固有名に結びついた特定のプライヴェートネスに彩られた世界のノスタルジックな快楽ではなく、世界が特定のプライヴェートネスのうちに取り込まれていくという運動自体の快楽なのである。村上が描くのは、自分にとって唯一性を帯びた事物(自分にとって有意味なもの)によって世界が埋め尽くされていく運動であり、その内容(何が自己にとって唯一性を持つ事物であり、それらがどのような意味をもつか)よりも、その形式(世界内の事物がいかに自己にとって有意味なもので埋め尽くされていくか)の洗練こそが、幅広い読者を惹きつけてきた要因なのである。


注:ここで引用させていただいたブログ記事(学術誌に発表した論文からの抜粋だと紹介されている)で主張されているのは、
「ボビー・ヴィー」や「ハロー・メリー・ルー」といった言葉の使用が、
「一九六○年代初頭にアメリカンポップスを聴いていた人々にとっては、何か深いところで感情を揺さぶるような濃密な関係性を、小説と自分との間に生み出す仕掛けになっている」(同記事から引用)
ということである。
 本稿はこの主張を否定するものではない。村上作品は確かにそのように読まれることもできるし、実際に一部の読者によってそう読まれてきた可能性は否定できない。だが、本稿で強調したいのは、これらの言葉は、特定の人々や世代という文脈においてそれらが持つ「内容」から切り離されたとしても、その「形式」において有意性を持ちうるのであり、それこそが村上春樹が幅広い読者を獲得してきた要因である、ということだ。世界内の事物を自己にとって有意味な事物に変換する、その運動の「形式」を(その運動に内在する矛盾を捨象せずに)追及したところに村上作品のより普遍的な意義がある。


例えば、村上作品に感動し思わず自分の日常を「村上風」に描いてみたくなる人々は、「ボビー・ヴィー」や「ハロー・メリー・ルー」の代わりに自分(たち)にとって有意味な固有名を用いることができる。つまり個々人にとって異なる「内容」を用いながら、世界を自己に取り込むという「形式」を再現することを彼らは(それを意識しないまま)目指すのであり、この作用はそもそも村上作品を読む際に発揮されているものである。つまり、読者は、村上作品において特定の世代的背景や性格や趣味趣向を持つ「僕」のうちに世界が取り込まれていく運動の「形式」を感受し、その同じ「形式」によって自己の経験を再編するように誘われる。彼らは、村上の「僕」とは異なる世代的背景や性格や嗜好を持つ自分自身においても、自らにとって唯一性をもつ事物によって世界が埋め尽くされていくことの可能性を見出し、その擬似的な実現として村上作品における「僕」の物語を感受することになるのである。
 どうもわかりにくい表現になっている気がするので、例を出しながら簡単に述べよう。前述した「1960年は、ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年だ」という村上の文章は、ある読者にとっては「僕らにとって1960年は、ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年だ」という「内容」を意味しうるが、別の読者にとっては「俺らにとって1997年はフジロックレッチリが唄った年だ」という「内容」を意味しうる。なぜなら、両者はともにその「形式」において「1960年は、ボビー・ヴィーが『ラバー・ボール』を唄った年だ」という村上の文章と同型だからである。だが、この三つの文章において、任意の「内容」を含意しうる形式性を直接的に提示しえているのは、村上の文章だけである。だからこそ、読者は「俺らにとって1997年はフジロックレッチリが唄った年だ」という発話の意味作用(世界が自己の視点から編成されていくことの快楽)と同質の快感を――その意味作用を形式的に普遍化した――村上の文章から感受しうるのである(注)。


注:ここで述べていることは、前回のエントリーの「読者は、第一に否定されるのではなく、春樹的な「僕の世界」の一部として含まれる」で始まる段落に書かれている内容とほぼ同じことを言おうとしているように思われる。ただし、どちらの文章もやや舌足らずで説明しきれてない印象をうける。舞城における「俺」と読者の関係との比較を考えても、今後精緻化していくことが大事かもしれない。


さて、ここからが本稿においてもっとも重要なポイントとなる。村上春樹は、世界を自己のうちに取り込んでいこうとする「僕」の軌跡を描くが、作中においてそれを成功させることはない。「世界=僕の世界」という等式は常に志向されるものの絶対に完成しない。世界には「僕」によって埋め尽くすことのできない残余が残り続けるという強烈な直観が村上にはある。しかし、その残余は――「世界」=作品世界が常に「僕」の視点から見られたものでしかないために――「世界」の内には存在しえない。村上の本領は、存在しえないはずの残余を、感知しえないはずの欠如を、非常にトリッキーな仕方で「僕の世界」に埋め込んでいくことにある。それこそが、本稿において「不在としての他者」と呼ぶものである。


3. 不在の他者


 前述したように、村上の作品世界を駆動する意味論的独我論は、「この世界の私にとっての意味が、この世界の真なる意味である」という形をとる。そこにおいて、世界はもっぱら「この私」を介して意味づけられる。しかし、この時、あらゆる他者は原理的には存在しえないものとなってしまう。というのも、他者とは「この私」とは異なるかたちで世界を意味づける起点となる存在であり、この性質を失えばもはやそれらは他者ではなく、単なるモノにかぎりなく近づいてしまうからである。つまり、意味論的独我論に立つ限り、世界を他者と共有することは極めて難しい。では、村上作品において他者はいかに現れうるのだろうか。それを端的に示しているのが、初期三部作に連なる長編『ダンス・ダンス・ダンス』前半における次のくだりである。

僕は平均的な人間だとは言えないかもしれないが、でも変った人間ではない。僕は僕なりにしごくまともな人間なのだ。とてもストレートだ。矢のごとくストレートだ。僕は僕としてごく必然的に、ごく自然に存在している。それはもう自明の事実なので、他人が僕という存在をどう捉えたとしても僕はそれほど気にしない。他人が僕をどのように見なそうと、それは僕には関係のない問題だった。それは僕の問題というよりはむしろ彼らの問題なのだ。
[…中略…]しかしそれとは別に、その一方で、僕の中のそのまともさに引かれる人間がいる。とても数少なくではあるけれど、でも確かに存在する。[…]彼らは僕の友人になり、恋人となり、妻にもなる。ある場合には対立する存在にもなる。でもいずれにせよ、みんな僕のもとを去っていく。彼らはあきらめ、あるいは絶望し、あるいは沈黙し(蛇口をひねってももう何も出てこない)、そして去っていく。僕の部屋には二つドアがついている。一つが入り口で、一つが出口だ。互換性はない。入り口からは出られないし、出口からは入れない。それは決まっているのだ。人々は入口から入ってきて、出口から出ていく。いろんな入り方があり、いろんな出方がある。しかし、いずれにせよ、みんな出ていく。あるものは新しい可能性を試すために出ていったし、あるものは時間を節約するために出ていった。あるものは死んだ。残った人間は一人もいない。部屋の中には誰もいない。僕がいるだけだ。そして僕は彼らの不在をいつも認識している。去って行った人々のことを。彼らの口にした言葉や、彼らの息づかいや、彼らの口ずさんだ唄が、部屋のあちこちの隅に塵のように漂っているのが見える。 (『ダンス・ダンス・ダンス(上)』p26-27)


この一節に表れているように、主人公「僕」の造形は次のような特徴を持つ。


①:「僕」は、自分にとって妥当だと感じられる価値や規範に忠実であり(「僕は僕なりにまとも」)、他人がこの世界の事物とりわけ自分をどう見ているかについては殆ど関心を示さない。

 
②:「僕」が強固に作り上げた世界=「僕の部屋」を心地よく感じる人間、あるいは、そこに強い魅力や反発を感じる人間が時折現れて、彼らと親しい関係を結ぶ(親友、彼女、妻、対立者)。そして、彼らは「僕」を、他の人間とは異なる特別な存在としてみなす
(Ex. 『羊をめぐる冒険』に登場する女の子は、その「魔術的なまでに完璧な形をした耳」を主人公にだけ見せる)。


③:両者の親しい関係は暫定的なものでしかなく、彼らは常に(死や離別を通じて)去っていく。そして、彼らが「いない」ということを、「僕」は常に感じている。


 以上の特徴は、主人公の人物像だけでなく、作品世界全体の造形を支えている。①「僕」が他人から自分がどう見えているかに殆ど無関心であるのは、作品世界を「僕の世界」(上で自己言及的に言われている「僕の部屋」に対応する)として描きだす上で必須の条件である。というのも、もし「僕」が、他人からみた自己像を常に気にしているような人物であれば、世界を意味づける審級が自己と他者(ないし世間一般)の間を動揺し続けてしまうからだ。②「僕の世界」に共感する・魅了される人物が「僕」の前に現れる、それによって作品世界は広がりを持つ。もし彼らが全く登場しなければ、主人公が自己満足し続ける閉じた日常を描くことしかできない。同時に、「僕」と彼らの関係を通じてある種の純粋さをもった親密な空間が描かれる。「僕の世界」とは、自分にとって有意味なものによって埋め尽くされた世界であるから、そこに留まる<自己=「僕」>と<親しい他者=「きみ」>は、自分たちにとって意味のあるもの以外は綺麗に排除された純粋な関係を結ぶ。③だが、親しい他者は常に暫定的にしか「僕の世界」に留まることができず、彼らはのちに去っていくか、すでに去っている。前節で述べたように、村上作品においては、作品世界自体が<世界=僕の世界>となるように構築されている。このため、僕から去っていく他者は作品世界からいわば物理的に消え去ることになり、彼らの不在は<世界=僕の世界>に穿たれた見えない孔のようなものとして存在することになる。


上で、「去っていく他者は作品世界から物理的に消え去る」と表現した事態は、たとえば、
羊をめぐる冒険』前半において離婚が決まった妻が家を出て行った直後の僕の様子が描かれる次のシーンの描写において如実に現れている。

僕は寝室の彼女の引き出しを順番に開けてみたが、どれもからっぽだった。虫の食った古いマフラーが一枚とハンガーが三本、防虫剤の包み、残っているのはそれだけだった。彼女はきれいさっぱり何もかも持っていってしまったのだ。
[…中略…]
アルバムを開いてみると彼女が写っている写真は一枚残らずはぎ取られていた。僕と彼女が一緒に写ったものは、彼女の部分だけがきちんと切り取られ、あとには僕だけが残されていた。僕一人が写っている写真と風景や動物を撮った写真はそのままだった。そんな三冊のアルバムに収められているのは完璧に修正された過去だった。僕はいつも一人ぼっちで。そのあいだに山や川や鹿や猫の写真があった。まるで生まれた時も一人で、ずっと一人ぼっちで、これから先も一人というような気がした。僕はアルバムを閉じ、煙草を二本吸った。


 妻の写真のみはぎ取られたアルバムは、妻の不在を表すものとして存在している。ここには、「ない」ことが「ある」のだ。「世界=僕の世界」において、他者は暫定的にしか存在しえない(「人々は入口から入ってきて、出口から出ていく」。「僕」にとって彼らは、これから去りゆくもの、すでに去ったものでしかありえない。僕は強固かつ広範に作り上げた「僕の世界」=「僕の部屋」のなかで「ひとりぼっち」になってしまう。しかし、だからこそ「僕」は、もはや存在しないはずの彼らが送ってよこす弱々しい声に耳をすます。その声は、「世界=僕の世界」に埋め込まれた、彼らがかつてそこに存在したことをあらわす無数の小さな痕跡から微かに聞こえてくる。つまり、「世界=僕の世界」において、他者は不在として存在する。換言すれば、「いない」ものとして「いる」。こうした存在様態の特権的なモデルとなるのが生者にとっての死者の有様である。死んだ者はすでに存在しないが、彼らの記憶は残された者のうちにいまだ存在する。実際、村上の物語は、回想や夢に現れる死者(『羊をめぐる冒険』序盤で回想される「誰とでも寝る女の子」、や『ダンス・ダンス・ダンス』後半で「僕」の夢の中に現れる「キキ」)や、現実に現れる死者=幽霊(『羊をめぐる冒険』の「鼠」)で溢れている。こうした存在の有様は、明確に死んだとされている者だけではなく、村上作品において重要な役割を果たす登場人物の多くに刻印されている。例えば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「世界の終り」パートに登場する「図書館の女の子」は自らの心を喪失しているし、『1973年のピンボール』に登場する鼠(この時点ではまだ死んでいない)は、時の流れを「まるでどこかでプツンと断ち切られてしまった」かのように感じている。「いながらにしていない」状態にあるこれらの人物たちもまた、不在として存在している。


以上のように、村上作品における他者は「不在の他者」として現れる。この、「いない」ものとして「いる」という他者の存在形態によって、世界を「僕」のうちに取り込んでいく運動は実現すると同時に実現しない。「世界=僕の世界」は、閉じた綺麗な円を描いていると同時に、そこには無数の薄く透明な穴が穿たれているのであり、それらの穴によって、「僕」が「世界=僕の世界」に安住することは、常にあらかじめ不可能なものとなっているのである。ここに、倫理的個人主義を意味論的独我論に拠って展開したときの悲劇が現れる。「自分の言葉で誠実に」語りながら生きていこうとすることによって、人は、世界を自己のうちに取り込んでいく快楽を享受するとともに、――自己のうちに取り込むことのできない世界の残余としての――他者と関係をとり結ぶことの原理的な困難という代償を払わなければならなくなるのである。作家としての村上春樹の力量は、この相矛盾する二つの局面のどちらかを捨象することなしに両者をギリギリの緊張感において併置し、それによって読者をより深い問いへと誘うことにある。


だが、ここにはネガティブな側面だけがあるのではない。第一に、他者を自己の世界のうちに取り込むことのできない存在として位置づけることは、他者を「自分にとって彼ら・彼女らがそう見えるもの」にすり替えることを強く否定することでもある。逆説的な形においてではあるが、村上の「僕」は他者のより本当の姿へと至ろうとする志向を強く持っている。僕の「スタイリッシュ」な内閉とそれに伴う他者の「不在」が際立たされるほど、そこに至ろうと苦闘する「僕」の思いの切実さ・誠実さが際立っていくのである。一つの作品全体が持つこうした構造の中に置かれることによって、次のような、単体では通俗的にも思われる文章が、読者の感情の根っこの部分に深くしみこむ言葉となっていく。

「ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことなのだろうか。つまり誰かのことを知ろうと長い時間をかけて真剣に努力をかさねて、その結果我々はその相手の本質にどの程度まで近づくことができるのだろうか。我々は我々がよく知っていると思い込んでいる相手について、本当に何か大事なことを知っているのだろうか」
(『ねじまき鳥クロニクル第一部』p47:「僕」の妻が失踪する際の描写)

僕が孤独であること――これは真実だった。僕は誰とも結びついていない。それが僕の問題なのだ。僕は僕を取り戻しつつある。でも僕は誰とも結びついていない。
 この前誰かを真剣に愛したのはいつのことだったろう?
 ずっと昔だ。いつかの氷河期といつかの氷河期との間。とにかくずっと昔だ。歴史的過去。ジュラ紀とか、そういう種類の過去だ。そしてみんな消えてしまった。
(『ダンス・ダンス・ダンス(上)』p60

第二に、自己の世界において「不在として存在するもの」として他者を位置づけることによって、自分の視点からみた他者の像に固執する選択肢だけでなく、他者を接触不可能なものとして捨象する選択肢も否定されることになり、そのうえで、原理的に困難な他者との関係をそれでも追及することはいかにして可能かを問うことができるようになる。


村上作品の軌跡において、「不在としての他者」のいくつかは主人公「僕」と精神的かつ恒常的な関係をとり結ぶ異界の存在へと変化していく。その典型例が、初期三部作の最後『羊をめぐる冒険』において「鼠」と入れ違いに登場する「羊男」であり、続編『ダンス・ダンス・ダンス』において「耳のモデルの女の子」が殺された後に別の名前で主人公の白昼夢に現れる「キキ」である。前者は、主人公が混乱しあらゆる結びつきを解いてしまったと述べ、「あんたが結びついている場所はここ(=いるかホテル)だけ」であり、「あんたが求め、手に入れたもの」を「配電盤」みたいに繋げるのが「おいらの役目」だと主人公に告げる。後者は「あなたが涙を流せないもののために私たちが涙を流し、あなたが声をあげることのできないもののために私たちが声を上げて泣くの」だと主人公に語る。この場面でキキが「私はあなたの影にすぎないの」と付け加えているように、彼らは主人公の分身であり、主人公の一部である。ただし、その一部は――「あなたが涙を流せないもののために」という一節が示しているように――主人公がきちんと認識できていない、きちんと受け入れることのできない自らの姿(「僕の世界」に「不在として存在する」自己)である。そして同時に、異界の住人である彼らは「鼠」や「耳のモデルの女の子」といった主人公が現実に失った他者と結びつき、「ユキ」や「五反田君」といった現実に存在する他者とも結びついている(「不在の他者」と「不在の自己」は、「僕の世界」において認識されえないまま存在するという点で同質の存在であり、その限りにおいて両者が接続する可能性が生まれる。「羊男」や「キキ」はこの可能性を具現化する存在者である)。


つまり、彼ら(および彼らの住処である「いるかホテル」や「6体の白骨死体が置かれたホノルルの死の部屋」)は、「不在の他者」と「僕」がそれでも実際には関係している/関係しうるのだという事実が、意味論的独我論によって構成された世界(=「僕の世界」)になかば強引に組み込まれたことで生じた存在である。このため、彼らは非現実的な存在、異界の住人として現れるのである。こうした虚構内世界の階層化(注)を通じて、村上は、倫理的個人主義が孕む「自己」と「他者」の矛盾、両者の原理的な並立不可能性を前提にしたうえでなお、人は他者といかに関係を結ぶことができるかという問いを「誠実に」(この誠実さを肯定すべきかどうかはここでは問わない)追及していく。さらに、彼の試みは、自己と他者との関係が根源的な暴力性を含むことへの強い自覚を経て、より深化していく。(それを如実に現わしているのが、『ねじまき鳥クロニクル』において行方不明となった妻と主人公を媒介する存在、綿谷ノボルである。彼は、「羊男」や「ユキ」と同じく、「僕の世界」とその外部の中間にありながら、彼と「僕」は激しく対立し、暴力をふるいあう。だたし、その暴力が非現実的なものでしかないという点で、独我論的意味論という前提は放棄されているわけではない。これはおそらく『海辺のカフカ』にも言えることである)。


注:『ダンス・ダンス・ダンス』終盤、夢に現れたキキは「いるかホテル」も「ホノルルの死の部屋」も、「あなたの部屋」だと「僕」に語る。つまり、先に引用した「僕の部屋」=「僕の世界」はこのとき多重化しているのである。こうした「僕の世界」の多重化は、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』における「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」という二つの世界において物語が二重に進行する事態や、『ねじまき鳥クロニクル』における隠された自己と出会う場所であり異世界と交渉する場所としての「井戸」に潜る、という局面にも見られるものである。


 ずいぶんと長大な文章になってしまった。ここまで考察してきたことに比べれば、明らかに単純化しすぎてはいるが、キーワードを並べる形で本稿をまとめると次のようになるだろうか。村上春樹は、倫理的個人主義を基調としたうえで、世界を自己のうちに囲い込むこと(=「意味論的独我論」)における快楽とそれがもたらす悲惨(=他者の不在と自己への閉塞)のどちらも捨象せずに、極限的な緊張状態において両者を均等に配置する。そこにおいて、「自己が他者とともにこの世界を共有/肯定することはいかにして可能か」という困難な問いが繰り返し追及され、「不在の他者と連帯する」ことへの誠実で切実な希求の軌跡が描き出されていく。


 とりあえず、ここで終わりにする。考えがまとまっておらず、どうにも言葉足らずだと思えるところ、細部に固執して全体像が上手く掴めてないように思えるところも多い。何より、村上春樹の全体像、彼の軌跡を体系的に追うという考察にはなっておらず、関連しそうと思われるところを乱暴につなげた文章になってしまっている。ただ、本稿の目的はあくまで村上と舞城を比較する土台をより広く・深く作るということであり、今回はこれでよしとしたい。


村上春樹についての分析としては、色々と考えるべきポイントを提示できたようにも思う。もちろん、言いすぎているところ、間違っているところも多々ありそうだが、とりあえず後続世代として村上春樹の作品が徴しづけ・相対化し・拡張してきた個人間や世界観そして倫理に対して同意と拒否を適切に配置する作業を行うために、有効な叩き台としてこの文章がいずれ役にたってくれれば良いと思う。


次にいつ書けるかは不明だが、とりあえずこの続きは『ディスコ探偵』を中心にしながら、舞城王太郎を、1出発点としての倫理的個人主義、2意味論的独我論の崩壊→意味論的多我論の登場、3暴力としての他者→関係の暴力性の全面化→暴力性としての「社会」の再発見、という三つの契機を中心にして考えてみたい。


<終り>